毎年9月23日頃には、祝日となる秋分の日が訪れます。
近くには敬老の日もあって、うまくそれが絡むとゴールデンウィークならぬ、『シルバーウィーク』なんて呼ばれる大型連休になるケースもありますよね。
そんな秋分の日は
このように呼ばれ、祖先を敬い亡くなった人を偲ぶ日として、お墓参りに出かけることも多いと思います。
じゃあ、どうして秋分の日はお彼岸と呼ばれ、お墓参りに出かけるようになったのでしょうか?
今回は、この秋分の日の由来や意味、そしてお墓参りに行く理由と、秋分の日の食べ物として有名な「おはぎ」との関係にも触れていこうと思います。
「秋分の日が祝日になっている意味」もしっかりとわかりますので、その歴史について順番に一緒に見ていきましょう。
秋分の日の由来はどこから来ているの?
秋分の日の由来には、
これが深くかかわっていると考えられていますね。
まず、
ということですが、この秋分の日は、
- 太陽が真東から昇り、真西に沈む日
- 昼と夜の長さがほぼ一緒になる日(正確に同じになるのは数日後)
こういう日なんですね。
こういう日って1年のうちで「春分の日」と「秋分の日」しかないので、特別な日として祝日にもなっているわけなんです。
ちなみに今年の秋分の日については、こちらで詳しくまとめています。
関連ページ実は、秋分の日って固定の祝日じゃないんです。
その辺の事情もわかりますよ。
秋分の日と「仏教の思想」の関係
秋分の日のことを
このように呼びますよね。
「お彼岸」っていうのは元々は、
「彼岸(ひがん)」
と呼ばれる仏教用語で「向こう岸」という意味なのです。
つまり、これは「極楽浄土」のことを指していると考えられています。
仏教では彼岸のことを「煩悩を脱した悟りの境地」というように表しています。
その「彼岸」と相対するのは
と言って「こちらの岸」という意味を表します。
仏教では此岸(しがん)のことを「人間の色んな欲望、迷いのある現世」というように表しています。
つまり、これは「娑婆(シャバ)」のことを指しています。
今の世界のことですね。
任侠ものの映画とかで、刑務所から出所した人が
なんていうシーンがありますよね。
これは、刑務所の中から普通の社会(シャバ)に帰ってきた事を表す例えなんでしょうね。
そして仏教では、
極楽浄土が西の彼方にある。
こんなふうに考えられています。
春分の日や秋分の日は太陽が真西に沈むので、極楽浄土の方角がはっきりわかりますね。
このことから昔の人は、
と考えられていたのです。
ですので、お彼岸にはお墓参りをしてご先祖さまを供養し、お祈りをすることで故人を偲ぶという風習が残っているのです。
このように、太陽の位置と仏教の思想が秋分の日の由来となっているのですね。
秋分の日の意味や祝日になる理由は?
この秋分の日には先ほどの由来から、いくつかの意味があると考えられています。
1つは先ほど見てもらったように、
と考えられていたので、お彼岸にはお墓参りをしてご先祖さまを供養し、お祈りをすることで故人を偲ぶという意味です。
もう1つとして、もともと秋分の日は
と呼ばれる、歴代の天皇や皇后、皇親の霊を祭る儀式で、宮中祭祀の1つだったのですね。
これは1878年(明治11年)~1947年(昭和22年)まで、この休日があったとされています。
(春季皇霊祭は1879年(明治12年)~1948年(昭和23年)まで)
それが、「国民の祝日に関する法律」によって、いまの「春分の日」「秋分の日」と名前を変えて国民の祝日となった由来があります。
春季皇霊祭や秋季皇霊祭は、皇室にとって大祭であったことで、日本国民にとって非常に重要な日だったのです。
そこで、この秋分の日と春分の日には、
- 春分の日:自然をたたえ、生物をいつくしむ。
- 秋分の日:祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ。
このような意味が込められていて、「国民の祝日に関する法律」の第二条にも記載されていますね。
秋分の日に墓参りやおはぎを食べるのはどうして?
さて、この秋分の日にはこのような由来や意味があって、お彼岸でもあるこの日にお墓参りをするようになりました。
これには、
という意味が込められています。
西方浄土にいる阿弥陀仏を拝礼するのに、最もふさわしい日だとされたからです。
ちょっと似ている「お彼岸とお盆の違い」という事にも触れてるので、違った発見があるかもですよ。
お彼岸の食べ物は「おはぎ」
お彼岸で代表的な食べ物には、
この2つがあります。
特に秋分の日では、ご先祖様へのお供え物として「おはぎ」をお供えする事が多いと思います。
でも、一方で春分の日は「ぼた餅」になるんですね。
「ぼた餅」と「おはぎ」って見た目も一緒だし、何が違うの?
って不思議に思ったことはないですか。
これって結論を言うと、基本的には同じ食べ物なんです。
この2つの違いは、
食べる時期が変わると、「呼び名」が変わる食べ物
ということなんですね。
それは、漢字にするとよくわかるんです。
- 「牡丹餅(ぼたもち)」
- 「お萩(おはぎ)」
春は牡丹(ボタン)、秋は萩(ハギ)の季節です。
ですので、
- 春分の日:牡丹(牡丹餅:ぼたもち)
- 秋分の日:萩(お萩:おはぎ)
といって、それぞれのお彼岸の時期で見立てているものが違うため、呼び名が変わっているのですね。
こちらの「春は牡丹の季節から牡丹餅」「秋は萩の季節からおはぎ」というような話ですが、これについてご指摘のあるコメントをいただきました。
その内容によると、
牡丹餅と呼ばれる理由は「お盆にたくさん並べた様子が、大きな花びらが重なって咲いている牡丹の花に似ているから」(1843年出版:『世事百談』より)
「萩の花」という呼称は、小豆餡の色や粒を表面に散らした様子が萩の花に似ているという説があり、「お萩」という呼び名は女言葉で、粒のままの小豆を表面にまぶした様子が「萩の花が乱れ咲いているように見えることから。」このような名がついたと考えられているようです。
また、牡丹餅が本来の呼称であり、そこから名前が来ていること(1697年出版『本朝食鑑』1712年出版『和漢三才圖會』より)
そして、お萩は粒あんの可能性が高いこと。
こういったことから、季節が由来することで牡丹餅やおはぎと言われた可能性はかなり厳しい説だという意見をいただきました。
ぼた餅やおはぎに使われる「小豆(あずき)」は、「邪気を払う」と信じられていて、昔から日本では赤色に魔よけ効果があるとされていました。
東洋思想の五行では赤色は「火」を表します。
例えば、小豆粥(あずきがゆ)を食べる習慣は、
にも書かれているほど歴史があります。
ですので、小豆(あずき)を使った「おはぎ」は邪気を払うとされていたのですね。
また、当時は高価なものとされていた「砂糖」や「もち米」を使うことから、ご先祖さまを大切に思う気持ちが表れているのです。
そして、
という意味が込められていたと言われています。
秋分の日のお彼岸で「おはぎ」をお供えするのは、こんな理由があったんですね。
ちなみに今は、ぼた餅もおはぎと呼ぶことが多くなっているようです。
これは、関東地方(主に東京)で「おはぎ」と呼ぶことが主流となり、それが全国に広まり定着したと言われています。
あとがき
今回は秋分の日の意味や由来、お墓参りやおはぎとの関係について見てきましたがいかがでしたか。
こうやって深く意味を知ると、秋分の日にはこんな歴史があったのだなぁと紐解くことができましたね。
ただ、実は、このお彼岸のお墓参りなどの風習って「日本だけ」なんです。
このお彼岸の墓参りなどの風習は、たびたび仏教の思想が影響しているとお話ししてきたのですが、実はこれって日本だけの話で、他の仏教国にはないようなんですね。
というのも、ちょっと上でも触れた「春分の日」と「秋分の日」に込められた意味について思い出してみましょう。
- 春分の日:自然をたたえ、生物をいつくしむ。
- 秋分の日:祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ。
このように記されているとのことでしたね。
この春分の日では、次の秋の収穫を願って祈りを込めていたと言われていて、秋分の日はその年の収穫に感謝する、といった
「自然信仰」
こういった考えもあったようなんです。
この「自然信仰」と、先ほどの祖先を敬う「祖先信仰」
この2つが融合して生まれた考えが、お墓参りやおはぎ、ぼた餅などの食べ物を食べる風習につながったと言われているのです。
日本独特の風習ですが、こうやって祖先に感謝して偲ぶ気持ちを忘れないでいることは素晴らしい考えですね。
私も学校に行っているころは、ただの祝日で嬉しいといった感覚でしかありませんでしたが、こうやって深く由来や意味を知ると、またいつもとはちょっと違った想いでこの日を迎えることになりそうですね。
また、同じく「春のお彼岸」でもある春分の日についてこちらでまとめてるので、よかったら併せて読んでみて下さいね。
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