節分といえば、「豆まきや恵方巻き」というのがすぐに思い浮かびますね。
実は、この節分に
といった風習が今も残っています。
いわしを食べる地域があり、また、そのいわしの頭を柊(ひいらぎ)に挿した
「柊鰯(ひいらぎいわし)」
という風習もあります。
こういった、いわしを食べたり柊鰯として飾る風習は、一体いつ、どこから始まったのか?
今回は、その由来や意味についてまとめました。
また、いわし以外にも各地方で食べられている食べ物や、節分には欠かせない、
「鬼」
この、「鬼の存在」についても一緒に見ていきましょう。
節分ではいわしを食べるの?
節分では恵方巻きの他に、いわしを丸焼きにして食べる風習があります。
でも実は、いわしを食べるのは主に関西地方の風習です。
私は大阪人なので、節分にはイワシを食べることは当たり前だと思っていました。
でも、こうやって調べていくと、これは全国的なものではないのだなーってその時初めて気が付きましたね。
節分の日にイワシを食べる風習は関西地方のものと言われていますが、他の地方でもこのように地方独特のいろいろな風習が今でも残っているようです。
ちょっとそれをまとめてみますね。
- 関東地方:けんちん汁
- 関西地方:いわし
- 四国地方:こんにゃく
- 山口県:くじら
- 出雲地方:節分そば
- 全国的:福茶
私は関西の生まれなので、節分には子供の頃からいわしを食べていました。
他の地域の人も、節分の日に食べているものがその地方独特の風習のものだったのだと、今これを見て気づかれているかもしれませんね。
出雲地方では今も節分に、
といって、年越しそばのような理由でそばを食べる風習が残っているようですね。
そんな「節分そば」と「年越しそば」については、こちらで詳しく触れていますので時間があったら読んでみてくださいね。
こんなふうに各地方でそれぞれの食べ物があるようですが、節分にはいわしを食べるといったことも、少しずつ全国的に知られていってるようです。
では、どうして節分にはいわしを食べるのか?
次に、その由来について見ていきたいと思います。
節分ではいわしを食べるようになった由来は?
節分には恵方巻き、豆まきなどにもそれぞれ由来があります。
豆まきの由来についてはこちらで確認してもらうと、意外なこともわかって面白いと思います。
関連ページ恵方巻についてはこちらですね。
では、どうしていわしを食べるようになったのでしょうか?
節分にいわしを食べるようになった由来には、
- 鬼を追い払うため
- 健康を祈るため
こういったことが主な由来としてあります。
では、それぞれの由来について詳しく見ていきますね。
鬼を追い払うため
節分というのは旧暦では
「大晦日」
のような扱いだったので、その年1年の邪気を祓う行事が行われる大切な1日だったのです。
それにちなんで豆まきがあるのですが、そのときに
って言う掛け声がありますよね。
ここで言う「鬼」というのは、
- 災い
- 病(やまい)
- 飢饉(食糧不足で苦しむ事態)
といった、「目に見えない不幸」などを指しているんですね。
この鬼という言葉が、陰陽道の思想などが合わさって皆さんがイメージする
「赤鬼」
になったといわれています。
いわしが持つ
- 生臭さ
- 焼いた時に出る煙
これらが鬼を寄せ付けない、つまり、
『鬼が逃げる = 不幸が遠ざかる』
ということで、節分にいわしを食べるようになったと言われています。
健康を祈るため
先ほどの鬼の話の続きになりますが、
こんな意味で食べられていたとも言われています。
実際に、いわしというのは豊富な栄養素を持っていて
- カルシウム:骨粗鬆症の防止
- ビタミンD:カルシウムの吸収を促進
- タンパク質が豊富
- EPA・DHA:中性脂肪や悪玉コレステロールの低下
こういった効果が期待できる食べ物なので、今も昔も健康のために食べておきたい食べ物の一つとして挙がります。
主にこのような2つの由来が、節分にいわしを食べる風習につながったと言われています。
そしてもう一つ、鬼を追い払うために
柊(ひいらぎ)
これに、いわしの頭を刺して家の軒先や戸口においておくといった風習がありますが、あなたは聞いたことがありますか?
これを、
「柊鰯(ひいらぎいわし)」
と呼んで、奈良方面の地域では今もこの風習が残っている場所も多いのだとか。
次は、その柊鰯について触れていきたいと思います。
節分でいわしをひいらぎに刺すのはどうして?
いわしを食べることで
「鬼(邪気)を追い払う。」
ということのお話をしましたが、この柊にいわしを刺して軒先などにおいておくことも、同じような意味があると考えられていました。
いわしの臭いに加えて、
これが鬼を刺すので、痛がる鬼は家の中に入れないと考えられていたのです。
つまり、この柊も魔除けの役割を果たすために使われていたのですね。
柊鰯のルーツは紀貫之が綴った土佐日記の中にも登場していたので、この頃にはすでに柊鰯の風習はあったのではないかと考えられていますね。
*当時は注連縄(しめなわ)に柊の枝と鯔(ぼら)を刺していたのが、いつの間にかイワシに変わって、江戸時代には一般的に広まったとされています。
あとがき
節分には豆まきや恵方巻きと言った風習が有名ですが、いわしに関しての風習も色々な由来や意味があり面白いですね。
節分自体の由来や意味はこちらで確認できます。
関連ページ
私は関西出身なので、節分にはいわしを食べるのですが、この柊鰯というのは馴染みがありません。
親に聞くと柊鰯というのは知っていましたが、実際に柊にいわしを刺して軒先に出すといったことはしていなかったようです。
この柊鰯は今ではすっかり見られなくなってしまったようですね。
近所でやってる人も見たことがないので、結局私はこの柊鰯というのを自分でやらないとおそらくこのまま見ることはないでしょう。
この柊鰯は全国的に広がりのある風習とされてますが、今では奈良県の地域では残っているようで今でも続けられているところもあるのだとか。
柊鰯って、想像するだけでもちょっとシュールですよね。