花見

花見の由来や意味、その起源は?歴史的な「醍醐の花見」とは?

2018年1月31日

花見 由来

3月の終わりごろになると花見の季節がやってきますね。

花見というと桜の木の下でお花を見ながら、いろんな食べ物や飲み物を持ち寄って楽しむイメージがあります。

 

でも、このような形になったのは、江戸時代からだと言われています。

 

でも花見の歴史は深く、奈良時代くらいまでさかのぼると言われているんですね。

そんな花見っていったいどんな由来や意味があって、今のような形になったのか?

その歴史の流れには、実は様々な変化がありました。

そこで今回は、

花見の由来や意味、その起源は何なのか。

また歴史的な醍醐の花見など、どのようにして花見は広がったのか、その歴史の流れについてまとめました。

スポンサードリンク

花見の由来や意味とは?

3月になるとそろそろ暖かく気候が変わり始めるころですよね。

この3月下旬~4月上旬にかけて、全国でも南の方から順番に桜が咲く季節となっています。

そんな桜の開花宣言とともに、様々な場所でお花見が行われますよね。

この花見は桜の下で食べ物や飲み物を持ち寄って、花を見てみんなで楽しむというイメージも強いと思います。

でも、この花見の由来ってどこから始まって、そもそもどんな意味があったのでしょう?

 

実は、この花見の由来は

「豊作を祈願する」

ということがもともとの意味だったようです。

「桜(サクラ)」という花の名前の語源には諸説ありますが、

「サ」:田んぼの神様
「クラ」:神様が座る場所

 

このようにして「桜(サクラ)」という名前がついたと言われています。

 

昔は田んぼを耕し始める時期を、この桜の花が咲くことを目安にしていたと言われています。

つまり、

桜の花が咲く → 山から田んぼの神様がいらっしゃった。

 

ということで、桜の気に神様が宿ったと信じられていたのですね。

 

そこで、桜の木の下にいろんな食べ物やお酒などのお供え物をしました。

 

そしてそれをみんなでいただくということが、この花見の由来や意味だったと考えられています。

スポンサードリンク

もう一つの桜の語源

この桜(サクラ)という名前の語源には、「古事記」や「日本書紀」に登場する

木花咲耶姫(コノハナノサクヤビメ)

日本神話に登場する女神さまですが、この姫の名前の「サクヤ」が「サクラ」の語源になったと言われています。

この他にもいくつか説はあるようですが、これらが桜の語源の説として有力視されています。

 

花見の起源と歴史とは?

花見 意味

花見の歴史は奈良時代にはあったと言われていますが、現在のように桜の花を見て楽しむ花見の起源は、平安時代からと考えられています。

 

平安時代の花見では、貴族たちが和歌を詠んだりして楽しんだものとされていて、一般的な農民が楽しむものとは違っていたのですね。

 

そんな花見の歴史ですが、桜の花を愛でるこの文化が急激に広まり831年からは天皇主催の定例行事にまでなったようです。

その様子は『源氏物語』五十四帖の巻名の一つの「花宴(はなのえん)」にも描かれています。

 

そんな花見の歴史がありますが、鎌倉時代になると貴族だけではなく武士にも浸透し始めるようになりました。

ただ、

 

「貴族たちが行う花見」と「武士たちが行う花見」

 

この2つではだいぶ違いがあったようです。

というのも、優雅に歌を詠んで桜の花を愛でるスタイルの貴族の花見と、どんちゃん騒ぎをして飲み食いをする武士の花見のスタイルは、同じ花見とは言えないくらいだったようですね。

スポンサードリンク

貴族の花見と武士の花見

そんな様子を吉田兼好の『徒然草』第137段で描かれています。

この様子は

「身分のある人の花見」と「片田舎の人の花見」

この違いを説明しているようです。

 

そのわかりやすい文がこれですね。

【古文】

すべて、月・花をば、さのみ目にて見るものかは。

春は家を立ち去らでも、月の夜は閨のうちながらも思へるこそ、いとたのもしうをかしけれ。

よき人は、ひとへに好けるさまにもみえず、興ずるさまも等閑(なおざり)なり。

片田舎の人こそ、色こく、万はもて興ずれ。花の本には、ねぢより、立ち寄り、あからめもせずまもりて、酒飲み、連歌して、果は、大きなる枝、心なく折り取らぬ。

泉には手足さし浸して、雪には下り立ちて跡つけなど、万の物、よそながら見ることなし。

 

【現代語訳】

満開の桜の花だけが、満月だけがすべてなのか、いやそうではない。

春は家から出ずとも、満月なら布団の上に居ながらでも想像でき、それはそれでとても楽しくて味わいがあるものだ。

教養のある人はむやみに面白がるようなものでもなく、その様子もあっさりとしている。

でも片田舎の教養のない人の花見は、しつこく眺めて何事でも面白がろうとするものだ。

花見でも花の下に身をにじり寄せ、わき見もせずに花をじっと見守って、酒を飲み歌って、最後には大きな枝を平気で心なく折ってしまったりもする。

田舎者は、夏の泉には必ず手足を浸すものだし、冬には雪の上に立って足跡をつけてしまい、全ての物をそっと静かに見守るということができない。

 

うーん、身に覚えがありすぎて困ってしまいます…。

こんなふうに『徒然草』でも書かれたこともあり、鎌倉時代末期から室町時代初期の頃には、このように地方でも花見があったことがわかります。

 

花見の桜と梅の花の歴史

桃の節句とは

今では花見と言えば桜の花ですよね。

でも、以前は梅の花を見て春の訪れを感じていたと言われています。

梅は中国から伝わった花で、奈良時代では中国文化の影響も強かったことから、花見の時には梅の花を見て貴族たちは和歌などを詠んだと言われています。

ただ、これが平安時代になると、徐々にその梅の花から桜の花へと人気が移り、それが現代まで続いていると考えられています。

これは嵯峨天皇が梅の花ではなく、桜の花のもとで花見をした

花宴の節(かえんのせち)

これが桜の花見の由来や起源になったと言われています。

スポンサードリンク

歴史的な醍醐の花見とは?

花見の歴史は平安時代から桜を楽しむスタイルへと変わっていき、それが武士の間にも広まりを始めたのですね。

その花見の中でも、歴史的に大きな花見があったと言われています。

それが、1598年に豊臣秀吉が京都の醍醐寺で催した

醍醐の花見

こちらがなんと全国各地の大名約1300人を引き連れて、盛大に行われた花見として記録に残っています。

 

豊臣秀吉が天下統一を果たしたのは、1590年でそこからおよそ10年後にこの醍醐の花見が行われました。

1594年には奈良県吉野山で「吉野の花見」という、こちらも大々的な花見も行われていたようです。(ただし3日間雨が続いたようですが…。)

 

この醍醐の花見では、とにかく派手好きな豊臣秀吉の趣向が存分に組み込まれた花見だったようです。

 

準備も入念に行い、庭園の改修や植樹などはもちろんの事、醍醐山の山腹への植樹も行ったりしたようです。

各箇所に茶屋を設けたり、花見の最中に女性には衣替えをさせたり、とにかくいろいろ楽しみな花見だったようですね。

 

茶屋にはお風呂もあったようです。

 

この醍醐寺では、現在も4月の第二日曜日に

豊太閤花見行列

というイベントが開催されています。

そんな派手で楽しい花見は、今現在私たちがイメージする花見に近かったと言われています。

 

花見の歴史と江戸時代

このような派手な花見などもあり、徐々に一般庶民にもこの花見というものが定着するようになりました。

それがだいたい江戸時代に入ってからだと言われています。

江戸時代は徳川幕府が東京に拠点を置いたことから、それまで京都などで楽しまれていた桜を、江戸の町にも咲かせようということで、奈良の吉野山の桜を上野に移植させました。

 

そうして、上野の桜を名所としたわけですね。

 

さらに徳川吉宗が浅草や飛鳥山といったところに桜を植えさせて、行楽をするように庶民にすすめたわけです。

これがきっかけとなり、庶民の間でも花見の風習が一気に広まりました。

この江戸時代には、桜の品種改良も盛んにおこなわれていたと言われてます。

そうすることで、いろんな場所での花見が可能になったというわけですね。

スポンサードリンク

花見の桜「ソメイヨシノ」と他の種類

桜の花と聞いて、その品種で真っ先に思い浮かぶのは

染井吉野(ソメイヨシノ)

この名前は聞いたことがあると思います。

日本の桜のおよそ8割はこのソメイヨシノの桜と言われていますね。

 

ソメイヨシノは、江戸時代末期に染井村(東京都豊島区駒込)の植木屋が、品種改良した桜のことを言います。

桜で有名な奈良県吉野に由来があり、当初は「吉野桜」という名でしたが、吉野山の山桜と間違えないように「染井吉野」と改名されました。

このソメイヨシノ以外にも桜の種類にはいくつかあり、

  • 江戸彼岸(えどひがん)
  • 山桜(やまざくら)
  • 大島桜(おおしまさくら)
  • 寒桜(かんざくら)
  • 枝垂桜(しだれざくら)

この種類が特に知られています。

ソメイヨシノはこの「江戸彼岸」と「大島桜」を交配して作り出されたようですね。

 

花見団子とその意味

さて、花見と言えばいろいろと食べ物を食べることも楽しみの一つですが、

花見団子

というものが花見では定番ですよね。

花見団子というと

ピンク・白・

というような色とりどりの3色の団子が印象的です。

実はこの色には、それぞれ意味があるんですね。

ピンク:さくらの春
白:去っていく冬の雪
:これから来る夏

このように季節を表しているんです。

 

こういった3色は季節を示すような意味があり、これと似たような食べ物が「ひな祭りの菱餅」なんですね。

 

こちらも3色ありますが、

赤い餅:桃の花を連想
白い餅:雪を連想
緑の餅:新芽を連想

といったように意味があるんです。

また、他にも菱餅にはいろんな由来や意味があって、ひな祭りに欠かせない「ひなあられ」とも深い関係があるんですね。

そんな菱餅の歴史も知ると面白いですよ。

関連ページ

>>菱餅の由来や色の意味は?正しい食べ方や菱餅ゼリーの作り方とは?

こちらの記事で詳しくまとめているので、ぜひ読んでみてください。

 

あとがき

花見の由来や意味、その起源は何なのか。

また歴史的な醍醐の花見など、どのようにして花見は広がっていったのか、その歴史の流れについてまとめましたがいかがでしたか。

元々は神様への豊作祈願であったり、貴族の間で楽しまれていたものが、次第に庶民へと広まり今のような形になったのですね。

 

このような由来や意味を見ていると、ひな祭りや節分なども似たような部分があったりするので日本の文化は奥深いですね。

そんな今年の花見の準備は進んでいるでしょうか。

花見の時期になるといろいろと必要なものがありますよね。

 

まだ3月だと寒いときもあるので、防寒グッズなども欲しいところです。

 

そんな花見で毎回必要なものがわからなくなることはないでしょうか?

そんな花見に必要なもののリストを、別の記事でまとめました。

関連ページ

>>花見に必要な物のリストは?あると便利なグッズや防寒対策は?

必要な物からあると便利な物までいろいろピックアップしたので、今年の花見の持ち物を確認しておきましょうね。

 

スポンサードリンク
  • この記事を書いた人
  • 最新記事

utuyo

utsuyoのハテナノート管理人です。 このサイトでは日常のさまざまな「ハテナ」な出来事について、みなさんにわかりやすくまとめています。いろんなサイトで調べてもわからなかったことが、ここを見るだけで分かるような便利なサイトを目指して作成していますので、どうか最後までご覧ください。

-花見
-

Copyright© utuyoのハテナノート , 2024 All Rights Reserved.