大相撲

相撲の起源や歴史はどのように始まったのか?発祥はどこ?

2017年4月2日

相撲 起源

相撲の起源や歴史、発祥はどこなのか?

相撲をなんとなく見ていると、ふと、こんなことが気になってしまいました。

 

実際に相撲っていつから始まったのか、どうして相撲を取るようになったのか不思議なことって多いですよね。

今回はそんな相撲の長い長い歴史の中で、今のような大相撲になるまでどのような経緯をたどってきたのかをまとめました。

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相撲の起源は何だったのか?

相撲の起源っていったい何だったのだろうと、そんなことが気になって調べてみました。

 

相撲は「神事」としての起源が有名ですよね。

 

今でも4月の春巡業には、伊勢神宮と靖国神社で奉納相撲が恒例行事となっています。

 

これは神様に、五穀豊穣を祈願する神事として行われていた儀式が起源となっています。

 

神話としての起源について、両国国技館の館内にもこのような展示があります。

相撲両国03

相撲両国04

これらのことは古事記にも記載があるようですね。

 

格闘技としての起源

このように、神事としての起源を持つ一方で、

085145   格闘技としての起源

相撲はこちらの側面にも起源があると言われています。

 

これは「日本書紀」に記述があり、

  • 大和:野見宿禰(のみのすくね)
  • 出雲国:当麻蹶速(たいまのけはや)

この2人が対決したことが格闘技、スポーツとしての起源だと言われています。

 

こちらは両国国技館に行ってきたときに、その館内で展示されていた資料です。

相撲両国01

相撲両国02

このような説明がありました。

これは第11代の垂仁天皇時代に行われたことだと言われており、かなりその歴史には古いものがあったのですね。

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相撲の歴史はどのように始まったのか?

相撲23-01

この相撲の起源があって、村祭りなどの神事として行われてきた相撲が、奈良時代に入ってから徐々に今の相撲の形に近づいてきたようです。

その最たるものが「禁じ手の制定」

突く、殴る、蹴るといった3手がまず封じられました。

 

初めの野見宿禰と当麻蹶速の対決では、もはや相撲とは言わず、殴るけるのケンカのような状態だったようで、野見宿禰は相手を殺してしまっています。

そこでルールを設け、四十八手などの作法礼法なども同時に定めることで、より神聖なものへと様変わりしていったようです。

 

平安時代から戦国時代までの相撲の歴史

平安時代に入ると、この相撲は大きな転換期を迎えます。

 

平安時代の初めのころは

「相撲節会(すまひのせちえ)」

と呼ばれる相撲大会を催し、宮廷の神事へとされることが恒例となりました。

この時代にはまだ土俵はなく、相手を倒すか地面に膝や手をつかせると勝ちというルールで行われていたようです。

相撲両国05

相撲両国06

 

それが300年ほど続いたとされていますが、平安時代の後期には下火となって1174年には無くなってしまったようです。

これが鎌倉時代に入り、源頼朝が上覧相撲という形で開催することが多くなったようです。

室町時代の足利家でも、同じくこのように続いていったとされています。

 

そしてこれが戦国時代に入ると、この相撲を最も愛したのがあなたもご存知の織田信長です。

 

この信長は上覧相撲を何度も催して、勝ち抜いた力士を家臣にしたり、衣服や刀などの褒美をとらせたりなど、かなりの相撲好きだったということも知られています。

相撲両国07

相撲両国08

 

江戸時代から今までの相撲の歴史

土俵の歴史としては、江戸時代の初期までは、人が取り囲んでその中で相撲を取る

人方屋(ひとかたや)

というスタイルが取られていました。

つまり土俵ではなく、ストリートファイトで人が取り囲んでいるような、昔の映画でよく見る状態です。

 

だから、今のような「押し出し」とか「寄り切り」とかの決まり手はなかったようです。

 

相手を地面に転がしたり、人の中に突っ込ますと勝ち。

 

これが今のような土俵になるには、大きな米俵で土俵を作っていたときや、四角の土俵であったり、4隅に大きな柱があったりなど、いろいろ様変わりして今の土俵に落ち着いたとされています。

 

江戸時代に入ってからは、寺社仏閣を建立するために、資金集めを目的とした、

「勧進相撲(かんじんずもう)」

といった形で各地で行われるようになりました。

今の大相撲の原型はここにあると言われています。

 

そして、この相撲人気が上がるにつれて、これを職業とする「職業力士団」が結成されると、この団体による相撲興行が始まったと言われています。

そして江戸時代後期に、雷電など伝説の力士たちが次々登場することで現代へと続いていったという歴史があります。

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相撲の発祥はどこなの?

そんな相撲の発祥の地ですが、これにも色々説があって最初にお話しした、

  • 大和:野見宿禰(のみのすくね)
  • 出雲国:当麻蹶速(たいまのけはや)

この2人の人物にちなんだ土地が、相撲発祥の地と言われています。

ですので、奈良県と島根県でそれぞれ発祥の地とされる建物など、歴史的建造物も多く残っていますね。

 

奈良県の桜井市には出雲地区という場所があり、野見宿禰の墓といわれる塚や、ゆかりの地の十二柱神社があります。

 

島根県という説もありますね。

古事記にある建御雷神(タケミカヅチ)と建御名方神(タケミナカタ)の力比べでは、その舞台が出雲となっているので、相撲の発祥地は島根県という説があります。

これは日本神話を元にしている説で、一方の野見宿禰の対決は人どおしの対決です。

どちらも捉え方によって発祥の地となりえます。

 

今は、このどちらかが相撲発祥の地ということでおさまっていると思います。

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あとがき

相撲の起源や歴史はどのように始まったのか。

また、その発祥はどこなのか、相撲の始まりについてまとめましたがいかがでしたか。

相撲の歴史は長いですが、こんなに昔から相撲の起源があったなんて驚きですね。

今のような形になるにも、本当にいろんなことがあって辿り着いたんですね。

 

そんな相撲の起源ですが、日本だけではなく海外にもたくさん見られるようです。

今ではモンゴル相撲も知られるところとなりましたし、トルコにもトルコ相撲とも言われる「ヤールギュレシ」といった競技もあります。

もっともっと前で言うと、エジプトのピラミッドの壁画にも、相撲のような形をした絵が記されていたとも言われています。

 

人の歴史において、人どおしの闘争や競争には、この相撲といった形は自然なものだったのかもしれません。

 

こう考えると相撲の歴史って、ものすごく深いことがわかりますね。

他にも、相撲にはたくさんの魅力が詰まっています!

そんな大相撲の伝統作法や取組の見どころ、観戦の仕方などをこちらでまとめています。

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