母の日

母の日っていつ?その由来や意味は?世界共通の日にちなの?何日起源

2015年3月11日

母の日01

毎年5月には、お母さんに感謝の気持ちを伝える「母の日」がありますよね。

check002  あなたは「母の日っていつなのか」覚えていますか?

実は、完全に固定されている日ではないので、毎年日にちが変わるんですね。

そんな母の日にはお花を贈ったり、日頃の感謝のメッセージを届けたり、いろんなプレゼントを考えたりするものですが、この「母の日」という日ができたのには、どんな由来や意味があるのか?

また、母の日って世界共通のイベントなんでしょうか?

今回は、

「母の日とはなんぞ」

ということについて触れていきたいと思います。

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母の日っていつなの?その日付の決め方は?

毎年5月に母の日がありますが、毎年日付は変わるので、

 

母の日って、ちょっといつなのかよくわからない。

あなたもこんなふうに感じてるかもしれませんね。

その母の日の日付は、

5月の第2日曜日

こう決まっています。

だから、固定の日で覚えようとすると難しいので、第2日曜日というように覚えるとわかりやすいですね。

今年の母の日がいつなのか覚えていない人はこちらにどうぞ。

関連ページ

>>母の日はいつ?プレゼントのおすすめは?

 

どうして5月の第2日曜日が母の日になったの?

それは、実に1949年(昭和24年)の終戦後ごろからと言われています。

では、このころに一体どんな出来事があったのか?

その由来や意味について見ていきましょう。

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母の日の由来は?起源はどこにあるの?

日本で母の日が5月の第2日曜日として定着し始めるようになっていったのは、1949年(昭和24年)ごろの終戦後だと言われています。

ただ、母の日自体はこれよりももっと前からあり、明治時代の末期には存在したようですね。

当時青山学院にいた女性宣教師たちの熱心な働きかけで、日本で「母の日」が定着していくきっかけとなったとされています。

そこからアンナ・ジャービスから青山学院にメッセージが届き、1915年(大正4年)ごろから教会などを中心に徐々に広まっていったようです。

ただ、この頃は、今のように5月の第2日曜日ではなくて、1931年(昭和6年)に、大日本連合婦人会が結成されたのを機に、当時の皇后さまの誕生日であった3月6日が母の日とされていました。

その後、1937年(昭和12年)にお菓子メーカーの森永製菓がこれを告知し始めたことで全国的にも広まっていったようなんですね。

それから戦争が始まり、終戦までは母の日はそのままの状態だったと考えられています。

そして、終戦後はアメリカですでに定着していた、5月の第2日曜日が日本でも定着し始めたという由来があるのですね。

母の日21

アメリカでの母の日の由来

さて、今の日本の母の日の日付は、アメリカの母の日が由来となっているようですが、アメリカではどのようにして母の日が生まれたのか?

これも気になりますよね。

それはなんと、いまから100年以上前の1870年アメリカの南北戦争終結後までさかのぼります。

その当時、「ジュリア・ウォード・ハウ」という女性が

 

夫や子どもを戦場に送ることはもうやめにして!

このような運動を発しました。

これが、

085145   「母の日宣言」(Mother's Day Proclamation)

と呼ばれました。

でも、結局この運動は広く普及することはなかったと言われています。

この運動は、南北戦争中に「アン・ジャービス(Ann Jarvis)」という女性が

「母の仕事の日」(Mother's Work Days)

このように呼ばれた活動をヒントにしたと言われていますね。

補足:「母の仕事の日」って?

敵味方問わず、負傷した人の介護や衛生状態を改善するための活動だったと言われています。

また、アン・ジャービスは貧しい人のために募金活動や公衆衛生活動などを行って、少しでも社会をよくしようと活動していたのですね。

 

そのアン・ジャービスが亡くなってから2年後の

1907年5月12日

この日に、その娘のアンナ・ジャービス(Anna Jarvis)が、亡き母親を偲び、母が日曜学校の教師をしていた教会で記念会を行い、白いカーネーションを贈ったとされています。

これが日本やアメリカでの母の日の起源とされているのですね。

そして、この想いに動かされて1908年5月10日にみんなで「母の日」を祝ったとされています。

1908年5月10日

この日が「5月の第2日曜日」だったと言われています。

アンナはそのとき、参加者全員に母親が好きであった「白いカーネーション」を手渡したことから、白いカーネーションが母の日のシンボルとなったのですね。

その後、1914年には「母の日」はアメリカの記念日になり祝日となったのです。

そこで、今ある母の日の「5月の第2日曜日」と決まったわけなんですね。

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母の日の意味って?この日にちは世界共通?

母の日の由来にはこのような意味が含まれていたのですが、母の日には赤いカーネーションを贈ることが定番ですよね。

アンナが贈った白いカーネーションは、母親が亡くなっていたこともあるので、いま存命の母親には赤いカーネーションを手渡すようになったのです。

 

母の日23

私は一度、子供のころお母さんにカーネーションを買ってあげようと、いっしょに花屋さんに行ったのですが、そのころはそんなこと全く知らずに、お母さんに白のカーネーションを買うところでした。

でも、いっしょにお母さんといっていたので、

白いカーネーションは、死んでしまったお母さんに渡すのよ。

と、軽く言われたのを今でも覚えています。

 

まあ、お母さんが目の前でいるのに白いカーネーションを買われたら、微妙な空気になりますよね。

 

そんな母の日のお花選びは、こちらを参考にどうぞ!

関連ページ

>>母の日の花の種類やおしゃれなものは?どんな花言葉があるの?

 

母の日は世界共通なの?

さて、日本ではおなじみの母の日ですが、当然その起源となったアメリカでも母の日は同じ5月の第2日曜日となっています。

この日本やアメリカと同じように中国やオーストラリア、カナダやドイツなど、たくさんの国で同じく5月の第2日曜日が母の日となっているようですね。

ただ、その由来やキッカケなどは日本やアメリカなどとは違う国もあるようですね。

オーストラリアでは、カーネーションではなく「菊の花」を送ったりするようです。

こんなふうに、日にちやその由来も世界共通ではなくて、他の国では5月ですら無い国も多いです。

例えば、世界で一番早く母の日がやってくるノルウェーでは、2月の第2日曜日、世界で一番最後のインドネシアでは12月22日、タイでは8月12日に母の日があったりするようです。

 

インドネシアの母の日は、1959年にスカルノ大統領によって正式に「母の日」として制定されたようです。

スカルノ大統領といえば、あなたもおそらくご存知のデヴィ婦人の夫ですよね。

日にちは世界共通ではなくバラバラですね。

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世界の母の日の日付

ちなみに世界では母の日っていつなのか、それを一覧にしてまとめたのが次のようになります。

日付 母の日が行われている世界
2月第2日曜日 ノルウェー
3月3日 ジョージア
3月8日 ラオス、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、スロベニア、マケドニア、アルバニア、ブルガリア
*Lent(レント)期間中の4回目の日曜日 イギリス、アイルランド
3月21日 バーレーン、エジプト、レバノン、シリア、パレスチナ、ヨルダン、クウェート、アラブ首長国連邦、イエメン、オマーン、サウジアラビア、カタール、リビア
4月7日 アルメニア
5月第1日曜日 ハンガリー、リトアニア、ポルトガル、スペイン、ルーマニア、南アフリカ共和国
5月8日 アルバニア、韓国
5月第2日曜日 日本、アメリカ、オーストリア、カナダ、香港、台湾、オーストラリア、ドイツ、イタリア、南アフリカ共和国、シンガポール、ニュージーランド、ペルー、フィリピン、ベルギー、ブラジル、チリ、コロンビア、キューバ、デンマーク、エクアドル、プエルトリコ、スイス、チェコ、リヒテンシュタインウルグアイ、中国、ウクライナ、マレーシア、ボツワナ
5月10日 メキシコ、エルサルバドル、グアテマラ
5月15日 パラグアイ
5月26日 ポーランド
5月30日 ニカラグア
5月最終日曜日 アルジェリア、フランス、ハイチ、スウェーデン、チュニジア、ドミニカ共和国、モロッコ
8月12日 タイ
8月15日 コスタリカ
10月第3日曜日 アルゼンチン
11月16日 北朝鮮
11月最終日曜日 ロシア
12月22日 インドネシア

*イギリスではイースターが始まる前の40日間(日曜日を除いてカウントする)を、Lent(レント)と呼んでます。

 

イースターの日にちについて知りたい方はこちらをどうぞ。

関連ページ

>>イースターはいつ行われる?期間や時期は?祭りやイベントは?

意外と面白いですよ。

最近は日本でもイースターが注目されてきています。

この機会に、イースターについて知っておくのもいいですね。

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あとがき

毎年5月の母の日っていつなのか?

その母の日の由来や意味、世界の母の日などについて見てきましたがいかがでしたか。

母の日って、じつはアメリカに起源があったのですね。

家族を大切にする想いが強い、アメリカらしい日ですよね。

さて、この母の日のキッカケを作ったアンナ・ジャービス(Anna Jarvis)ですが、実はアンナ本人は、母の日のカーネーションの不買運動などを行っていたのです。

どうしてこんな優しい人が、この素晴らしい日に反対するような行動に出たのか不思議ですよね。

というのも、この母の日というイベントが、商業的に利用されたのがたまらなく嫌だったようなんです。

この母の日が生まれたことで、この日にはカーネーションが欠かせなくなったことはわかりますよね。

そうなると、それを商業利用しようとして、企業がカーネーションの値段を高くしたりだとかお菓子を売ったりだとか、アンナの意図していた母の日とは大きく変わっていっちゃったんですね。

アンナは母の日を、こんな商売に利用されたくなかったんでしょうね。

だから、カーネーションの販売に抗議する為に集会に押しかけ逮捕されてしまったり、不買運動をしたり、訴訟を起こすと警告したり、さまざまな運動を起こしていたと言われています。

そして、最終的にはそのために財産も失って、体もボロボロになり認知症になって療養所で亡くなったといわれています。

なんとも言いようのない最期ですが、アンナの母への思いがとても伝わってくるエピソードです。

私たちも、いつまでもお母さんは大切にしていきたいですね。

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